日々、考える。日常。

物書きをしてゆきたいカワスミが、日々考えたことをストックするためのブログです。

「死ね、バイラル」というタイトルで、ある講座に卒業制作を提出しました

ある講座の卒業制作の締切は今日の正午だったので、昨夜書いて提出したのをブログにも上げます。無職の休養期間にiPhoneでネットしながらゴロゴロしていたら「ライター講座」のバナーを見つけて、父の出資で通い出したからには「ライター」とついた名刺を刷って、何社か面接を受けてあっというまにwebで書かせていただけることになりました(いつまで書けるかわかりませんが、がんばってゆきたいと思っています)。仕事するようになってからはほとんど通いませんでした。色々理由はあるんですが、他の受講生の文章を読む時間など(もちろん示唆を受けたことはたくさんあるのですが)、全体的に憂鬱で面倒に感じたからです。卒業制作も出すつもりはなかったのですが、6,000字とそこまで多いわけでもないので、出してしまおうと思いました。

原稿も全部ストックにしてアップするブログにしたいので、早速公開します。私が最初の面接をパスできたのは、ブログに色々とストックしていたことが大きな要因だったのかな、と思っています。たぶん著作権は私にあるので、私が上げても上げなくても特に問題はないのではないかな、と考えます。締切も過ぎているので問題も発生する余地がないかなあ、と。

締切……それは、すごい言葉です。今はやはり数日に一回は締切がありますが。ライターになる以前に印象的な締切は、コンクールのために音源CDを上げなきゃいけないんですけど、それを主催の会社まで徒歩で持ち込んだことと、大学院時代に論文をみんなでギャーギャー言いながらまとめて、学生課の窓口にダッシュで提出したことです。

色々な方々にお会いしました。この取材のためにお会いしたのはおひとりだけで、他は吸収したいと思ってイベントに参加したり色々……あ、会っていない方も登場するか。ただ、ライター名刺を作ってから、とても面白い方々とお会いできていて、すごく楽しいです。感謝しています。

ひとつだけ、読む上で注意していただきたいのは、この果てしなく長い文章には怒りという名の負のエネルギーが積もり積もっているということです。

あー、縦書きで出したから、今数字ソッコーで直してて、もう色々まだまだ直したいんですけど……一応夜中誤字に気付いたりはしてたので、誤字はナシで提出できたかな…そのように一応信じてます。重複表現とかはあるかもしれません。まだまだこれからです。これからの私のすることは、しばらくもう横書きの世界でガンガンwebで書くことなので(特に、趣味の詩はまだまだ紙にしたい、縦で書けたほうがいいのかな、とは思うことがあります)、文中に示した方向性でがんばっていきたいと思います。

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題名:

 

死ね、バイラル ~これからのwebライター業について考える

 

文:

 

川澄萌野

 

目次:

 

1. 普及するインターネット、普及しないリテラシー

2. 東日本大震災デング熱報道で見られたデマ

3. バイラルメディアをシェアする人々

4. 女性としての私の表現と生き方

5. 人々の欲望を肥大化させるバイラルメディア

6. 無自覚に他人の権利を侵害してゆく、バイラルメディアの罪

7. 匿名化し、低価格化してゆく「まとめ」記事

8. ブラック化してゆく「ライター」たちの生活

9. 一流のwebメディアこそが、一次情報を大事にする

10. webメディアの未来は「バズる」ことにあるのか?

11. インターネットを面白くしていくことこそが、本来のライター業である

 

 

本文:

 

1. 普及するインターネット、普及しないリテラシー

 

私は中学生時代から、まだ人の少ないインターネットを眺めて育った。盛んに「メディア・リテラシー」が叫ばれ続けてきた。情報が溢れる現代社会で、自分の掴んだ情報を取捨選択し使いこなす能力のことだ。

 

リテラシーを持たない人間は「情報弱者」と呼ばれ、嘲られる。しかし、何をもって「リテラシーがある人間」と呼べるのか。

 

2. 東日本大震災デング熱報道で見られたデマ

 

2011年3月11日、地震直後に私は携帯からTwitterを注視した。圧倒的に多くの情報が溢れていたのだ。混乱の中、流れ続ける情報には、デマも多く含まれていた。適切な報道がされないと、人々は疑心暗鬼になる。

 

2014年8月末に起きたデング熱の流行でも、同じ現象が起きた。報道にはスピードや、言葉の的確さが欠けていたのだ。聞き慣れない「デング熱」という言葉を前に人々は戸惑った。政府に反発する一部の人々はある仮説を広めた。「9月に予定されている反原発デモを中止するために、情報操作されている」と。緊急時に誰もがデマを流さない社会は、永遠に到来しないのではないだろうか。

 

3. バイラルメディアをシェアする人々

 

インターネットで「バイラルメディア」という言葉が目立つ。「バイラル」とは「ウィルス性の」という意味である。アメリカで生まれた「BuzzFeed」を手本に、膨大な量の「バイラルメディア」が作られ続けた。

 

人々はSNSで「バイラルメディア」を伝染的にシェアしていく。「人からよく見られたい」という心理から、人は自分がより知的に見えそうな記事をシェアしてしまう傾向にある。

 

パソコン通信時代からネットを観察し続けてきた、システム管理者のおおつねまさふみ氏は、これを「見せ本棚現象」と名づける。人々は、Amazonの「ほしい物リスト」機能に、頭が良く見えそうな本などを設定したがる。他人に見せる自分のイメージをより高めようとしているのだ。

 

この心理は、2007年に国内で流行り出した「Tumblr」にすでに観察できたが、現在流行している「Instagram」や「Vine」でもうまく応用されている。2013年2月14日に放送された「アメトーーク!」のカメラ特集で、小藪千豊氏は「カメラ女子は空、犬、猫、おしゃれなカフェのカプチーノ、小さなサボテンぐらいしか撮らない」と発言した。一見攻撃的な言葉だが、「誰かに見せたい」欲望がありありと見えてしまう写真ではなく、もっと大切なもの……例えば、家族の情景などを大切に残したいという言葉だったのではないか。

 

4. 女性としての私の表現と生き方

 

webにおけるヒットする記事は「シェアされやすい」ものが大多数ではある一方で、「シェアしづらい」ものの、PVを集める記事も確実に存在する。「シェアすると自分に悪いイメージがつくので、シェアせずに覗き見したい」という類のものだ。女性はセックスに関する情報をシェアすることは圧倒的に少ない。未だに男性中心の記事が多い中、主体的で充実した人生を送れている女性がどれだけいるのだろうか。

 

私はそんな女性たちに心から同調できない。それは、壮絶な思いで人生を表現に費やしている、私自身の特殊な生き方のためだ。おおつね氏は「アメリカの女優たちはゴシップがあっても仕事を続けられるのに、スキャンダルを起こした女性タレントの復帰が難しい日本の構造は歪んでいるのではないか」と語る。私自身「奔放」というレッテルを世間に貼られても、表現し続けるのが適切な生き方だと信じている。もしも自分の記事で、ひとりの女性が虐待や暴力から逃れられるのならば、レッテル貼りなど何ら苦痛ではない。

 

5. 人々の欲望を肥大化させるバイラルメディア

 

話を元に戻すと、これだけ情報の洪水の中で生きているのにも関わらず、人々は常に「シェアしたい」情報を渇望している。「シェアする自分」がひとつのメディアでありたいのではないだろうか。受信する側でなく発信したい、何かを表現してゆきたい欲望に飢えているのではないか。

 

広がり続ける欲望に養分を与える一因が「バイラルメディア」だ。「食べたい、食べたい」と千尋に向かって手を出し続けたカオナシのように、人々は宙に向かって「知りたい、知りたい」とつぶやき続けている。カオナシの小判が泥でできていたことを知るのは、ずっと先のことだ。

 

6. 無自覚に他人の権利を侵害してゆく、バイラルメディアの罪

 

バイラルメディア」は、一度「バズった」ネタを無断で「パクって」ゆくことが非常に多い。体を張って撮られたインパクトの強い写真さえも「パクり」、画像データそのものを自らのサーバーにアップロードし直す手口まである。著作権、また場合によっては肖像権の侵害である。

 

バイラルメディア」の作成キットは数万円で売られているという。そこに載る記事は、「クラウドソーシング」などに外注して一本数百円で書かれているといわれる。責任者は「外注して書いてもらった記事なので詳しいことはわからない」と言い逃れるというありさまだ(註1)。

 

文章の背後には、筆者の学習してきたことや、事実確認、細かなニュアンスなどが存在する。それらを無神経にそぎ落とすことは、筆者に対してたいへん失礼な行為である。私は本講座の課題で書いた文章のテーマを、他の受講生の書くブログに数日後にそのまま使われた。その内容は最初に書いた私の文章の質からは著しくかけ離れたもので、表現者としての志はどうなっているのか疑わしく感じた。

 

実際、私が「Pouch」に執筆した記事も、あるサイトに丸々コピー&ペーストされてしまった。ライターのヨッピー氏は「被害を訴えている人たちは氷山の一角、泣き寝入りしている人たちがたくさんいる」とこの現状に怒りを表した(註1)。嘆かわしいのは、彼らは確信犯である以上に、何も考えていないことだ(註2)。

 

7. 匿名化し、低価格化してゆく「まとめ」記事

 

一方、現在「キュレーション」の分野で台頭しているのは、なんといっても「NAVERまとめ」である。PVに比例してポイントを「稼げる」ため、多くの「まとめ」が日々量産される。人気の「まとめ」にはキュレーション能力は必須である一方、ライティング能力はあまり必要ではないように思える。

 

SNSにおいて「続きはこちらをクリック!」などと読者をおびき寄せる悪しきビジネスモデルや、無断で他人のTwitterへの投稿内容をパクっていく大量の「パクツイbot」の存在は特に問題だ。消費者として私たちは「著作権を侵害する手法で広告を出す会社やお店」は極力使わないように行動をとる、ぐらいしか選択肢がない。これらの手法を使う会社がバイラルメディアを運営している事実は、最悪である。

 

「まとめ」には需要も大きいが、ただの「まとめ」記事に高価な原稿料が払われることはあまりない。そこでいかに違いを出し、自分の文章を選ぶ読者を増やせるのかどうかが、ライターの腕の見せどころではないだろうか。

 

8. ブラック化してゆく「ライター」たちの生活

 

クラウドソーシング」という仕事依頼のシステムを利用する「ライター」たちは、アフィリエイト用の「記事」を一本80円で書く案件をこなす。一時間に10本書くことで「時給800円だ」と言う。それでライティング能力がいつ上がるのか。しかしながら書き続けるしか生活の術はないのだ。現代社会で貧困が問題となる中、「ライター」業は深刻にブラック化していることを忘れてはならない。

 

「ライター」を名乗る人々の買い叩きが進むこの現状には、ノンフィクションライターの最相葉月氏も驚き、「今の時代だからこそ書きたいテーマを書く」重要性を示唆している(註3)。

 

この労働システムでは「社会の中の自分」について考察できないだろう。自分の報酬がなぜこれだけちっぽけなのか、根本的に考える時間すら存在しないかもしれない。

 

文章を書く上で、差別用語を使わないことはもちろん基本ルールだ。だがそれ以前に、差別される側の人々への配慮や、現在今その人たちがどのような状況にあるかを最低限理解しておくことが重要だと考える。そうでなければ言葉は簡単に暴力になり、メディアを用いて弱者を殴ることに繋がりかねない。それは多くの場合、炎上にも繋がる。リスクマネジメント能力のひとつとしても、社会問題に関しての基本的な理解がライターには必要だと思う。

 

9. 一流のwebメディアこそが、一次情報を大事にする

 

有限会社ノオト代表の宮脇淳氏が話すように(註4)、これからのwebメディアは一次情報をいかに大事にするかが問われるのではないか。「立ち食い寿司店のトイレが洋式になって女性客が喜んだ」……宮脇氏が「品川経済新聞」に書くニュース(註5)は、実際に街を歩いてこそ書けるものだ。先日その立ち食い寿司店に初めて入店したが、宮脇氏は大将と親しく贔屓の野球チームの話をしていて、大将の手で握られた寿司はとても美味しかった。

 

人々の心を掴んで離さないフレーズがある。金子みすゞの詩の中の「見えぬけれどもあるんだよ、/見えぬものでもあるんだよ。」という一節や、サン=テグジュペリ「星の王子様」の「かんじんなことは、目に見えないんだよ」というセリフである。誰の目にも「見えぬもの」かもしれない地域の出来事を丁寧に拾っていく……宮脇氏の記事の中に、私はそのような美しさを感じる。それこそが、小さなメディアがすべきことの本質なのではないのだろうか。

 

当制作では「知り合い以外の人に取材」を行えとのことであるが、ライターとして知らない人に話を聞くのは当然ではないのか。なぜ指定する必要があるのか。話を聞かずに提出してしまう受講生が多いのか。もしそうだとすれば、彼らは講座を修了したのちにどこへゆき、何を書くのか。甚だ疑問である。

 

10. webメディアの未来は「バズる」ことにあるのか?

 

これからのwebメディアは何を目指すべきか。まず、書き手の独自性がこれからますます重要視されるであろう。一次情報をベースに取材を深めれば、独自に面白い記事を作ることもできる。それを数年単位で循環させていけば、自メディア内で過去の記事を循環させてゆくことも可能となるだろう。画期的なモデルは朝日新聞による「withnews」であり、紙とwebの新しい形が見出せる(註6)。

 

10月29日にブロガーの徳力基彦氏は「もはや日本では誰も自らを『バイラルメディア』と名乗らなくなりそう」と発言した(註7)。バイラルを堂々と名乗ることは、もはやバカなのである。そんな時代が到来したのだ。

 

ライター・メディア運営コンサルタントのセブ山氏は、早くも10月22日に「想定したいたよりも早くバイラルメディアやキュレーションサイトの時代が終焉を迎えているけど、次にやってくるオリジナルコンテンツ市場が圧倒的な人手不足でヤバいぞ会議」と題したイベントを行っていた(註8)。

 

大手メディアがもはや拾わない事柄を拾うことこそ、これからのwebメディアの役目なのではないだろうか。脚光を浴びていない人物や物事を取り上げて話題にし、結果として喜んでいただけるのが一番の喜びだと私自身感じている。

 

しかしながら、記事を書いたときに「バズる」要素には、運も大きい。企画力や文章力など、記事としての基本的なクオリティを常に保持して書き続けるほかに術はない。「バズる」と同時に炎上する記事を一本書いて消えてしまうような一発屋では、仕事が長続きしないのだ。

 

「バズればよい」という時代も、崩壊してきている。7月22日に家入一真氏は「バズった先に待っているものは何か? 『バズらせる』発想のみでは、本質を見誤ってしまうのではないか」と疑問を投げかけた(註9)。

 

11. インターネットを面白くしていくことこそが、本来のライター業である

 

面白いライターにはファンがつく。面白いライターが考え抜いて出した企画は、企業のオウンドメディア(自社メディア)における記事であっても、もちろん面白い。当然ながらファンたちは企業のサイトまで行って、それを読むのだ。

 

「人」で読まれる時代の今、ライターは営業努力を続けてゆくべきだ。同時に、面白い記事をコンスタントに書き、公開していくことが最も重要である。「面白いことを追求していれば、PVは自然についてくる。一緒にインターネットを面白くしましょう!」とセブ山氏は語り、そこには希望が見えた。

 

バイラルメディアは害悪だ」と、多くの人たちが気付き始めている今、ライターとしてすべきことは、ひとつなのだ。刹那的に「バズる」快楽を求め、他人の権利を侵害し続ける「ライター」とは、人として信頼関係が築けないだろう。結局は、日々コツコツと書くことこそが、近道になる。

 

註:

1:http://special.smartguide.yahoo.co.jp/kawanagare/20141028.html 及び続報として http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1410/28/news150.html

2:http://blogos.com/article/93525/?p=1

3:http://synodos.jp/newbook/9088

4:http://www.huffingtonpost.jp/jyohonetworkhougakkai/webmedia_b_5898616.html

5:http://shinagawa.keizai.biz/headline/1696/

6:http://withnews.jp/

7:http://blogos.com/article/97577/

8:http://bookandbeer.com/blog/event/20141022_bt/

9:http://kawasumi.hateblo.jp/entry/2014/07/28/233826