日々、考える。日常。

物書きをしてゆきたいカワスミが、日々考えたことをストックするためのブログです。

暗闇の時代に輝き続ける「マタイの福音書」のエッセンス

 私の人生に最も影響を与えた本は、聖書である。大学時代、東京芸大バッハカンタータクラブという団体に所属し、宗教音楽に深く向き合った。数年間の中でも最も印象的だったのは、バッハにおける大作「マタイ受難曲」の演奏に取り組んだことであった。作品理解のためには「マタイの福音書」の熟読が必要だった。

日本人、特に若者の社会問題への関心の薄さはしばしば問題にされる。六月八日に行われた中野区長選挙では、投票率がわずか二十九パーセントしかなく、選挙にボランティアで関わっていた私自身、有権者へのメッセージの伝わらなさに涙を呑む思いであった。

かくも困難な時代において、私たちは救世主を待ちわびている。その思いは、日本の政治に安直なファシストを呼び寄せやすいのではないか。はっきりものを言いさえすれば、ある種の民衆の支持を獲得するのは容易だ。自らの生活に不満がたまり、攻撃する相手を常に探しているような層にとっての救世主となるのは。

現代は「付和雷同」の社会である。インターネットにおいても、もちろんリアルな社会においても。差別発言について怒りを表明すれば、すぐに打たれてしまう。しかし、私たちは打たれて地に埋まったままではならない。杭ではなく、人間であるのだから。

イエスが捕まったとき、なぜ弟子たちは後をついてゆくことができなかったのか。群衆はなぜ、イエスではなくバラバを解放せよ、と熱狂的に叫んだのか。既に捕らわれて不自由の身となったイエスに、唾をかけ嘲笑ったのか。

私たちは常に冷静であらねばならない。動かされるのではなく、人を動かす側に私はありたい。日々の発信していく作業の中で根底に響くのは、やはりイエスの痛みであり、我々群集のしてしまった「罪」なのだ。それはヒトラーの時代にあっても、集団的自衛権が大きく問題になっている今日でも変わらない、というのが私の思いである。

 

(ある課題があって、自分の好きな本を一冊選んでそれについて800字書けというものだったので取り組みました。このブログにたくさんストックしていきたいので、ここにも残します。原稿は縦書きです。少しだけ提出したものに推敲加えました。)