日々、考える。日常。

物書きをしてゆきたいカワスミが、日々考えたことをストックするためのブログです。

映画「おかあさんの木」がいくらなんでも酷すぎる(※ネタバレを含む)

 終戦70年を迎えて、反戦映画が今年は多い。8月公開予定の「この国の空」ももしかしたらなかなかに酷いのではないだろうか、と予告を見て感じている。長谷川博己二階堂ふみの濡れ場を多分戦時中に挟んでくるんだけど、これはだいぶうまいことやらないと失敗すると思う。脱原発映画「あいときぼうのまち」もそれが(個人的に思えばだが、ひどく無意味に)出てきて相当酷い思いをした。

 

 いろいろ映画は見ているのだが、「予告犯」が見たくて映画館に行った。中村義洋監督モノで濱田岳が出ていれば今までの確率で結構なところ当たりだからだ。だけど例えば「アヒルと鴨のコインロッカー」を超えた感じはしなかった。予想していなかったところで窪田正孝を見られたのが嬉しかった。そこで、時間があるのであと1本見て帰ることにした。予告からして外れだろうな、とは思っていたが、ベタなもので結構すぐに泣けてしまうコスパの良い性格なので、「おかあさんの木」を見て泣かされて帰ろう、と思った。「号泣のロードショー!」みたいなことを至るところで見るのでまあ泣かせてくれるんだろうと。

 

【以下はネタバレを充分に含むので、見る予定のある方は読まないことをおすすめします。】

 

 まず「泣け! ここは泣くところだよ!」というところで泣かせるテーマがかかるのだが、ヴァイオリンが「れーしー(ちょっと略)みーどー」(※当然習慣ですべて音名で聞こえてきてしまうのだが…良い映画音楽だと聞き取らずにいられるので完全にこれはダメな部類なんだと思う)と6度上昇を繰り返すのをヴィブラート入りで弾いていて、それが何度も何度も大ボリュームで流されるのでベタすぎて笑うしかなかった。最近のイケてる映画音楽の流れと全然違い、典型的にベタ〜なパターンで笑った。「6度の意味するところとは」と暇すぎて上映中に考え込むぐらいだった。

 

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(0:40頃からが「泣かせるテーマ」だっ! こんなダサい系なの、最近の良い映画で聞いたことないぞ! もうこれ、ちょっと冬のソナタ的なヤツだぞ!)

 

 簡単に言えば涙の出るところもなく、乾いた笑いしか出ず、最後のほうではあくびも連発した。ちょっとこれは、歴史と戦争をバカにしているのではないだろうか、とまで思えてしまう。何か特に重要なメッセージ性を持った映画の場合、緻密に作り上げないと逆に失礼にあたると考えている。劇中では「靖国神社英霊として祀られよう」というような兵士たちの会話も出てくるので、左の方々だけではなく右寄りの方々もこれは怒るのではないだろうか。なんといっても農業のリアリティのなさに、農家の方は怒るのではないかと、一応は農家で生まれたので思った。

 

 まず登場人物たちが喋る方言がどこの方言か見当がつかず、どこで起こった話なのか最初の赤紙を確認するまで私はわからなかった。舞台は長野なのだが、ああいう喋り方をする人は見たことがない。多分これは私の不勉強なので勉強したいと思うのだが、劇中では基本的に標準アクセントで、たまに語尾に「~だに」と付く。「みんな!エスパーだよ」かと思った(あれはなんか納得ゆく感じで訛っているし、まずコメディだ)。そして強調したいときだけ「まーんず」と使う。日本昔ばなしかと思った(奈良岡朋子のナレーションはさすがに良い仕事だと感じるが、やはり方言については疑問が残る。そして他の芝居における方言に、全般的にあまりリアリティを感じなかった)。

 

 最近、今さらながら「悪の教典」にハマっていたので、平岳大が登場し微笑みまくるシーンから、これは死亡フラグだなーとニヤニヤしていたのは我ながら悪趣味だと思うが…そのフラグはすぐに当たることになった。

 

 そして最も重要なのは、出征する子どもたちのことを案じて植える桐の木である。公式サイトにも画像が載っているのだが、これは本当の生の葉っぱなのだろうか…? 私には結構育った大きな木以外はすべて偽物に見えたのだが…それが気になって気になって鈴木京香を見ずに葉っぱばかりみているときもあった。葉脈があまり見えず、光をなんだか安っぽい感じに反射している。

 

 

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(画像は公式サイトをキャプチャーした。手前の葉っぱにどうしても目がいってしまうのは私だけだろうか。この感じのシーンが重要なところで何度も何度も続くのである…もっと葉っぱがよく見えることも多い。地獄だ。)

 

 劇中では「この葉っぱが一郎、こっちの大きな葉っぱは二郎…」と息子の名前を呼びながら葉っぱをかき集める重要なシーンもある。なぜそれぞれがどの木の葉っぱかわかるのか問題はまあフィクションなのでさておき、7枚のすべての葉っぱに穴ひとつ、枯れた跡ひとつないのである。一応植物なので、そんなにみんなグリーンなことはあるんだろうか、と思ってしまうのであった。ホカ弁に入っている仕切りのグリーンなアレじゃないんだぞ。「桐 葉っぱ」で画像検索すると、虫が寄ってきて穴が開いている写真はたまにあるので、割とそういう植物なのではないだろうか(「桐 葉」で検索すると何かアニメのキャラクターらしき画像ばかり出てくるのが注意点だ)。息子たちを表す木なのだから、葉っぱを透かして太陽の光がさし込んでその緑色が輝き、まるで手のひらを太陽に向けたときのような生命感のある絵こそを求めているのに、劇中に登場する葉っぱはすべてペラペラしていた。何度でも言うが、ここは最も重要なモチーフなのではないだろうか…。

 

 付け加えれば、1本の木にくくりつけられたラッパ(1人の息子が好きだったもの)がいつまでも錆びないのが非常に謎だ。寺の鐘や馬や猫までも供出されるシーンがあるが、常時野外に堂々とつるされているあれは金属として取られなかったようだ…。もうひとつ言えば、ラッパを吹くシーンがいくら子役とはいえ雑すぎるだろう。完全に口を付けてから音を当ててほしかった。唇が付いていないのに音が出るはずがない。欲を言えばおそらくピストンがなく口のみで音程を変える楽器なので、もう少し音の上下によって吹き手の息の圧力のかけ方が表情でわかったほうがよい…が、子役だし一度きりのシーンなのでそこまで期待はしていない(のちに何度も回想される重要なシーンの一部ではあるが…)。ああ、あの不自然さはトイザらスで売っている電子音が出るオモチャのラッパかと思ったよ。

 

 鈴木京香が女手一つで耕している畑には、常にネギと大根が青々と生えていて、ネギを収穫した様子などは泥もあまり付いていないので近所の激安八百屋の店先かと思いました。…いや、激安八百屋だって曲がったネギは売っていそうだ。畑に生えたネギの先は常に少しだけ茶色くなっているだけだけど、この状態はそう簡単に保てるものではない。ましてや女手一つになったのだから、たまには大根に花まで咲かせてしまって腐らせるようなこともあるだろう。なんでこんなに農業の描写がキレイすぎるのか。「春になっても、夏になっても、子どもたちを待ち続けました」的なナレーションも挟むのに、なぜこんなにも季節感がないのか。衣装についても四季関係なく同じような格好をしているので、季節感は伝わらなかった。まず、こんなにキレイな農家(おそらく設定としては割と貧農)は見たことがない、ましてや戦時中だ。すでに鬼籍に入った肉親に長年農業に精を出したどちらかといえばほぼ無学な(※肉親で故人ながらもあえて冷たくも言ってしまえば…)女性がいたが、彼女でさえこの戦時中の描写よりももっとヨレヨレの手ぬぐいをローテーションで使っていつも頭に巻いていたし、モンペには小さな穴がいくつもあったように思うし、何より長年の重労働ですでに若い頃から腰がすっかり曲がっていた。彼女の人生を思えばさらに腹が立ってしまう。彼女に似た農家の女性は当時たくさんいたはずだ。キレイな鈴木京香の農作業ではその苦悩がまるで伝わってこない。ファンタジーである。トトロに出てくるトウモロコシのほうがずっとおいしそうだ…実際、アニメでやったらもっといろいろ生きたのではないだろうか(製作陣を大幅に変えなければどのみち同じことになってしまいそうだが…)。昔の農家で生きる女性には、トトロのおばあちゃんの手のゴツゴツ感であるとか、そういう「貧しさを乗り越えて生きている力強さ」のようなものを自分は求めてしまうのだ。鈴木京香がネギを掘る手はあまりにもキレイすぎる。

 

 戦時中の描写にもほとんどリアリティが感じられなかった。「ごちそうさん」を途中まで見て、セット内で起こる雑な戦時中のシーンなどが嫌になってやめたのだが、まさにあのときの感情が蘇った。こんなレベルだったらドラマで良いと思う。なぜ映画にしてしまったのか。こんなにツッコミどころばかりなのに誰もストップを言える人がいなかったのか。

 

 また途中で反戦家がポッと出てくる意味がまったくわからなかった。逃走中の反戦家には傷跡ひとつなく、非現実的で怪盗ルパンもしくは世の中を知らないお坊っちゃま然とした描き方になっている。良い俳優なのにもったいないと思う。小林多喜二などのあの奮闘はなんだったのか、と怒る人もいそうな描き方である。この映画での反戦家の行動はSNSなどでバイト先で馬鹿騒ぎをして炎上するようなレベルのもので、なんら思想的に深いなものは感じられない。激戦地から生還する人物にも傷跡ひとつなく、髪もヒゲもきれいに整えられているのは一体なんなのか(せめて片袖がブランとしていたら割とそれらしく見えたと思うのだが…そう言い始めれば戦地の描き方にもグロさが足らないと思うが多分これは仕方がない、子どもにも見せたい映画なのだろうし)。

 

 勤労動員先の工場の壁にあった、労働を鼓舞する貼り紙に、まるでワープロ時代以降のフォントのようなものがあるのも、特に重要なことではないのだが数分間気になった。ああいうものはあの時代に存在したのだろうか。田辺誠一が白髪になって老けた役をする様子はちょっと板尾創路かと思った(田辺誠一は好きなのだが…この際むしろ板尾にしたほうが泥臭さが少しだけアップして良かったのではないだろうか…この映画には決定的に泥臭さがない、多分徹底的にそういう要素を排除しているように思える)。他にもツッコミどころはたくさんあるのだが…まとめれば「フェイクグリーンかな? そうじゃないのかな? とガン見しながら鈴木京香のクサい芝居に、泣きどころでも乾いた笑いしか出ない退屈な時間」であった。鈴木京香自体は好きなのだが、多分この「ベタに泣ける感」を求められたらこうなっちゃうよなー…と思った。あとは花嫁時代の若い女優から鈴木京香に切り替わる瞬間がやや不自然に早すぎるように思った。

 

 記念の年で、おそらくオカネもかけて作っているのだから、どうしてハンパなものを作ってしまうのか。逆に言うと、これで泣けちゃう人の感性がわからない。鈍いと思う。これは苦笑するしかない映画だ。そして見た後に一晩だけ怒ればよいと思う。泣けた人、ホントごめんなさい。劇場内で泣き声は一度も聞こえなかった。平岳大が登場するシーンで、ひょうきんなキャラクターに笑いは起きたが、あとはひたすら静かだった。原作の感想も両極端のようだが、それにしても映像化する際にもう少し考えられなかったのかと非常に残念に思う。

 

 植物たちをはじめ、映像に生命感・生命力が感じられない。リアリティもない。そこから浮き出てくるのは「泣かせてやろう、感動させてやろう」という思いだけであった。こういう作為的な薄っぺらいあざとさが嫌いだ。ちなみに最近ひたすら映画館に通っているが、一番泣いている時間が多かったのは「ビリギャル」だったように思う。これも結局は泣かせようと作られているのだが、いい話だしよくできた映画だった。主人公の気持ちもよく伝わってきた。「ビリギャル」については見た後長々と書きたくなってしまったが、短く言えば「原作よりも家族や友人たちとの関わりが繊細に描かれている、社会問題にも一応触れられている、子どもの貧困の問題と結びつけ短絡的に批判する人たちのことがむしろ理解できない、高学歴賛美ではまったくなく何歳になっても学ぶことは良いよねという内容に受け取った」みたいなことだ。

 

 今年こそもっと納得のゆく戦争映画が見たいと思った。漫画を読むことが許されず唯一「はだしのゲン」ばかり読んでいた子ども時代が好きではないのだが、あれはあれで戦時中の市民の狂気をうまく描いているので、「はだしのゲン」を認めざるをえない、とすら思った(ただし私自身はあれは子どもに読ませたくないと思っている)。そこまで思わせる1作だった。付け加えれば近年「はだしのゲン」がドラマ化されたときのほうがまだマシだったようにぼんやりと思う。私にとってはだが、この映画については、制作側がPRする「反戦の思い」には結びつくものではまるでなかった。

 

 …ここまで書いておいて本当は生の葉っぱだったら申し訳ない限りだし、確証はないのだが…そう思わせてしまい、見る間じゅう葉っぱが気になって気になってしょうがない、とまで感じさせた時点で割と良いとは言えない類のヤツなんじゃないかと思っている。

 

最近見た映画メモ

「ビリギャル」

百日紅

新宿スワン

「予告犯」

「おかあさんの木」

(何か抜けている気がする…あんまり洋画は見ないです、すいません)

 

家で見たメモ

悪の教典」(1回見て原作を読んで2回見た)

地獄でなぜ悪い」(2回目)

冷たい熱帯魚」(2回目)

「藁の盾」(2回目)

「ウシジマくん1・2」(2回目ぐらい)

「その夜の侍」(堺・新井が良い)

蟹工船」(これも相当酷いんじゃないかと思った)

(うーん、グロい映画が好きな人みたいな感じになっちゃって、単に山田孝之好きな人みたいな感じだけど別にそうでもない。おわり)