日々、考える。日常。

物書きをしてゆきたいカワスミが、日々考えたことをストックするためのブログです。

ザルツブルグのてっぺんで、女たちは叫んだ。

 「あそこで、何かが起きている。」

 いつも寡黙な大野サトルが、固く腕組みをしながら、遠くを見つめぼそっと呟いた。憂鬱のように曇った空の下、山頂にそびえ立つ城のシルエットがひときわ大きく見える。北村サキは内心驚いてオーノの顔を横からちらりと覗いたが、オーノは大きな敵を見つめるかのように姿勢を崩さなかった。森田アヤコは自慢の一眼レフで景色を一分ごとに切り取っている。

 

この日、オーストリアザルツブルグに、音大生三人は初めて降り立ったのだった。冬である。今日中には研修所に戻らねばならないから、まるでメロスのように早朝から三時間も電車に揺られてきたのだった。それでも、ザルツブルグに来てみたかった。天才、モーツァルトの生まれた土地を。育った土地を。彼の遺した軌跡をこの目で見たかった。

モーツァルトの家。使っていたピアノや楽譜やペン。髪の毛の束や丸眼鏡。モーツァルトたち家族が毎晩眠っていた、小さな質素な寝台。ずっと使われ続けている暖炉に、ゆらゆら燃え続ける炎。モーツァルトは、確かに生きていたのだ。少しだけ泣きそうになりながら、三人は足早に展示を回った。

 

 この街ぜんたいを見渡すには、どうしても標高五百八メートルの山の上へ、ホーエンザルツブルグ城へと登る必要があった。

 しかし、季節は冬であった。ケーブルカーの乗り場には「連結防止のため運休」という看板が出ている。クールなサキと消極的なアヤコは、撤退しようかと目で合図を送り合っていた。三人の中で沈黙が続く。

い、いやっ、ここまで来たんだよお?登ろうよ!」

と、オーノまた、叫んだ普段おとなしいことでいじられがちなオーノが、映画版のび太のように輝いて見えた瞬間だった。ザルツブルグ雪山登山隊、オーノ隊長の誕生である。

 

雪を踏みしめ、何度も滑り落ちそうになりながらも、山頂に着いた瞬間。視界がぱっと、鮮やかにはじけた。

あの景色を、今でもオーノは自宅でピアノに向かいながら、鮮明に思い出すことがある。左手にはザルツブルグの市街、少し離れると敷地の広い屋敷がぽつりぽつりと建っていて、はるか遠くにはアルプスの山並み。空は日が落ちかけていて、雲と入り混じり、青黒く淀んでいた。異国で目の当たりにした、不安を掻き立てる色。ふと気を許せば惹き込まれてしまいそうな怪しい魅力があった。

徐々に日が落ちる。幹線道路に浮かび上がる光の列。あたたかなオレンジ色の点々が人々の生活の温もりを、人々の呼吸を、空に向かって発している。手前に見える屋敷の広間では男女がごく親しげに談笑していた。

空は容赦なく黒く沈んでゆくが、遠くの雄大な山並みはくっきり縁取られ、その威容を保っている。生きている。モーツァルトの暮らしたザルツブルグで、今も人々は生きて、暮らしている。

 

「うおおおおおおおっ!やっほおおおおおおおお!」

突然サキが奇声をあげて、城壁の一番上までよじ登った。足場をひとつ間違えればすぐにまっさかさまだ。

「北村さん、降りなって!死んじゃうよお、死んじゃうって!」

オーノはサキの足元に駆け寄って説得しようと試みてはみたものの、既にサキのリミッターは破壊されていた。

「だって、こんなにきれいなんだもん。ダイブしてここで死んでやるう!」

オロオロしながらオーノは、優等生タイプのアヤコを振り返った。想像通りアヤコは冷静に二人の様子をカメラに収めている最中である。もう、森田さんどうにかしてよ、写真撮ってる場合じゃないでしょ、と、オーノは心の中でつっこんだのだった。が、そのとき。

「私も登る!見るっ!」

 アヤコも城壁によじ登りだした。コートを翻してサキとアヤコは、ザルツブルグの真ん中に、てっぺんに立っているのだった。確かに何かが、起こっていた。間違いなく起こっていた。三人が、今、「死んでもいい」と思う何かが。

 「うおおおおおお!日本に帰りたくないよおおお!」

 「モーツァルトみたいにずっとここで暮らしたいよおおおおおお!

 オーノは、二人の女の背中越しに、美しいザルツブルグの風景を、いつまでもいつまでも、身体のずっと奥までしみ込ませるように丁寧に眺めていた。

 

---

すいません、えーとこれは、なんだっけ。えーと、1200字で生々しい旅行記を書け、と言われたので、各所から協力を得て書いた、ザルツブルグの山に登って降りてきた話でした。初稿はもっと長くてまとまんなくて、これもまあまとまってないんだけど、まあこれで今日は妥協、ぐらいの…。あとこれ、最大の問題は1500字ぐらいあるんだよね…。

 

エピソード自体がまあ、これは酷い話!って感じに雑で面白いので(誰もザルツブルグの山からダイブして死ぬ!と叫ぶやつはそんなにいない…ガンジス河でバタフライみたいな感じで調理できるんじゃないかと思ったりする)、まあもうこれしかないかな、と。あとは富山の刺身が旨かった、ぐらいしか私の人生にはあんまし話題がない。あ、あと大阪のバーで飲むのが楽しい、とか、色々あるな!あったあった。

 

居酒屋で思い出話をしてくれてネタ提供をしてくれたオーノさん、サキさん(私の作文の書き出しまで、飲み会解散のホームで決まる飲み会最高やで!)、それから私のために城の画像検索をちょっぱやでしてくれ、ウィーンでは肉と鍋を食わせてくれたEさん、みなさんご協力ありがとうございました。ウィーンへの旅はほんとに素敵だったな。あの旅は多分一生忘れないなー。